言葉で定義できない世界

セラピストやったり占い師やったりしていると、
いわゆる”言葉で定義できない世界”が当たり前すぎて、
自分にその世界がなかった頃をつい忘れてしまう。
自転車に乗れなかった自分を思い出せないように。

それでも、いろいろな本を読んだり、人と話をしていると、
あぁ、そうだ。
”言葉で定義できない世界”は、間違いなくメジャーではない、と。
折に触れて気づく。
いわゆる”非科学的”なものを、あんなに拒否していたのにね、私。
最近は、”科学的”って言葉自体の定義が、根本的に違っているんだけれどねー、と思いながら。

”言葉で定義できない世界”は、別に信じなくても信じていてもどちらでもいいし。
その世界に生きても、生きていなくても好きなようにすればいい。
要は、しあわせを感じる日常であれば。
どちらの世界も経て来たので、どちらの気持ちもわかるし。優劣もない。
ただ、今いる世界がつらいのに、そこに固執する必要もないなー、と。

”本を読む私”が戻ってきたということは、何だかいろいろ安定してきたのだろうなー。
AIのことやら、武道のことやら、まったく逆のことのようで、まったく同じことばっか読んでるな、最近。
そう思っていたら、身内に”生と死”を学ばせてもらえることがたくさん起こっています。

それにしても、自分が相当、いや絶望的なほど”飽きっぽい”人間なのだと。
結構がんばってきたつもりでしたが、敗北目前。
そんな自分を最大限活かせるような歩み方を、いろいろ考えよー

そんな、今日。