カテゴリー別アーカイブ: くらし

家族を見送る

順番だから。
親を見送ることもあるのです。

父を見送り、四十九日。
入院してからは、まだ先は長く、長いと思っていました。
退院して、介護をして、ゆっくりと別れを受け止めていくのだと思っていました。
家族も、病院の先生も、そう思っていたのです。
前向きな話をした、ほんの少し後。
急に状況はすべて変わってしまったのです。

見送った後は、やることがたくさん。
母の代わりに手続きをしつつ。
仕事は、普通にある。
他にもたくさん仕事が、ある。
家族の忙しさも相まって、休みがない。

忙しかったおかげで、張り詰めていたおかげで。
別れの悲しみなんて、感じない。
どこか遠くの病院にでもいるんじゃないかな。
うまく、思い出すこともできない。

よく、突然ガクン、と来るよと言われます。
まだ来てないけれど、なんだかその言葉の意味がわかるような。

父は、しあわせだったのかな、と母がポツリと。
とても強く、自分に厳しい人でした。
だから最期まで、家族に甘えたりしなかった。
私は、思う。
最期まで強い父のまま、見舞に来る母の心配をしていた父は、
きっとしあわせだったと思う。
大切に想う母を守ることができたのだから。
最期まで父らしくいられたのだから、それでいいんじゃないかな。

まだ、実感もなく。
ただ、さらさら時間は過ぎている、そんな感じ。

今日のお伴は”不便益”

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今日の通勤のお伴さん。
ながーいタイトルに惹かれますね。フフフ。

最近の私の興味の方向が、人工知能と人間と身体と私、あたりなのですが。
こちらの”不便益の本”は、人工知能がもたらしてくれることとか、人間が受け取れることとか。
人間ができて、機械ができないこと、機械ができるけど、人間がすること。
世界の動きのスピードに目が回りそうな人に、安心して立ち止まるきっかけをくれる本。
立ち止まる時間も、自分を育む時間。

AIに支配される未来が来るんじゃないか!という怖れに対する自分なりの答えが、
ようやく最近ピタリとはまった感があるのです。
それは、とてもシンプル。
”AIに支配される世界に私は生きない。それで、いい。”
もうちょっとちゃんと書けば、情熱は・・・とか、問を立てることは・・・とか、身体感覚が・・・とか。
いろいろな言葉はあるのだけれどね。
ここはあえて一言で。

そう。
この本、インプレスとミシマ社が立ち上げたあたらしいレーベル”しごとのわ”からの出版。
仕事をあたらしい視点で見つめてみる本が出版されています。
このレーベルの本で、最初に読んだのは”小さな会社でぼくは育つ”(神吉直人著)だったのだけれど、
そちらもとてもステキな本でした。
その本の話は、また別の機会にでも。

言葉で定義できない世界

セラピストやったり占い師やったりしていると、
いわゆる”言葉で定義できない世界”が当たり前すぎて、
自分にその世界がなかった頃をつい忘れてしまう。
自転車に乗れなかった自分を思い出せないように。

それでも、いろいろな本を読んだり、人と話をしていると、
あぁ、そうだ。
”言葉で定義できない世界”は、間違いなくメジャーではない、と。
折に触れて気づく。
いわゆる”非科学的”なものを、あんなに拒否していたのにね、私。
最近は、”科学的”って言葉自体の定義が、根本的に違っているんだけれどねー、と思いながら。

”言葉で定義できない世界”は、別に信じなくても信じていてもどちらでもいいし。
その世界に生きても、生きていなくても好きなようにすればいい。
要は、しあわせを感じる日常であれば。
どちらの世界も経て来たので、どちらの気持ちもわかるし。優劣もない。
ただ、今いる世界がつらいのに、そこに固執する必要もないなー、と。

”本を読む私”が戻ってきたということは、何だかいろいろ安定してきたのだろうなー。
AIのことやら、武道のことやら、まったく逆のことのようで、まったく同じことばっか読んでるな、最近。
そう思っていたら、身内に”生と死”を学ばせてもらえることがたくさん起こっています。

それにしても、自分が相当、いや絶望的なほど”飽きっぽい”人間なのだと。
結構がんばってきたつもりでしたが、敗北目前。
そんな自分を最大限活かせるような歩み方を、いろいろ考えよー

そんな、今日。

ママにおススメな、いや必須なサイト

6月から再びwithbabyでベビーマッサージ教室を再開することになりました。わーい。

自分自身の産前産後、乳幼児の育児中にずっとモヤモヤしていたこと。
いわゆる”神話”というものに悩まされる時期がありました。
”母乳”、”布おむつ”、”抱き癖”、”離乳”などなど・・・
ベビーマッサージ教室を開いている時もずっと、
そんな”神話”に悩むママさんをたくさん見てきました。

私自身がそんな悩みから脱出するためにしたのは、”知ること”。そして”実践すること”。
本を読み、ネットを探し、その中から自分が”正しい”と思うことを知り、実践する。
周囲の雑音は、オフに。
それが本当に正しかったのかはわかりません。
ただ、今私と娘が笑顔で過ごせているのだから、私にとっては”正しい”ことなのだと納得を。

でもね、ホント。
ネットの情報って真偽がわからないものばかり。
そんな中、こんなサイトを知りました。
ちょっと理系な育児

いいですねぇ。
WHOのガイドラインを基にした情報が満載なサイト。
でもこのサイトの本当の価値は、
偏った見方に陥ることなく、自分と目の前の子供にとっての正しさを追求する!
そんな姿勢を感じることなのです。
私が信じる”理系的な姿勢”って、そういう姿勢。

産前は働いていたママほど、”神話”にとらわれて苦しんでいるような(私もね)。
仕事ではtry and errorは当たり前だったはずなのに、
育児となると、他の解が見えなくなる、怖くなる。
大丈夫。子供と一緒に乗り越えていこう。

そんな気持ちになるようなベビーマッサージ教室をやりまーす。

手作りアロマディフューザー

aroma

哲学的なクルクル具合。。
これ、アロマディフューザーなんです。

瓶の中にエタノールと精油(アロマオイル)を入れて、ラタンスティック(藤の棒)を入れるだけ。(大体エタノールに対して精油1%くらいかな)
毛細管現象によって、スティックの上部までアロマ液が吸い上げられて香りを放ちます。

アロマショップで働いていた頃、商品としてアロマディフューザーを扱っていたけれど、
クルクルなラタンスティックは見たことなかったなぁ!

ちょっと古くなった精油だけど、香りが大丈夫なものの消費にちょうどいい!
リボンをかけて、ちょっと上品に。
トイレに置いていますよ。

パラレルキャリアの歩き方。ナカムラクニオさんの本たち。

蜀咏悄 2017-04-19 6 31 26

最近、読書熱に火が付きました。
ので、以前から気になっていた本をザクザク読んでいます。

ナカムラクニオさんは、荻窪にある”六次元”というカフェというか古書店というか居場所というか。
不思議な”場”を提供している方。
村上春樹氏の読書会なんかも開いているカフェでもあったり。
いろいろなイベントが開催されているのです。
ナカムラクニオさん自身がパラレルキャリア(本業とは別に副業を持っている、”六次元”も副業の一つ)持つ人。

自分がこの世界で生き(活き)ていくために、
自分が食べる術を持つこと。(ライスワーク)
自分の居場所を持つこと。(ライフワーク)
自分のワクワクを作ること。(ライクワーク)
この3つを自分の中のベストなバランスで作っていくこと。

あぁ、本当に大切でワクワクする言葉たち。
そして、それを実現するために必要なこともあますことなく書いてあるなんて!
私自身も今は本業と副業を持つパラレルキャリアな人。
ちょっとそれぞれを整理したいなぁ、と思っていた今日この頃。
各章ごとに”問いかけ”があって、その”問いかけ”に答えていくと、
気づけば自分のパラレルキャリアがクッキリと見えてくるという仕組みの本。

シングルキャリアな毎日が、なんとなくグレーに見えてきた人。
パラレルキャリアだけど、それぞれごちゃごちゃになってしまっている人。(←私)
おススメな本です。

あたらしくセラピストとして活動を始めてから今まで、いろんな起業の本とかセミナーとか見聞きしましたが。
本当に必要なことは、たぶん、この本にすべて書かれているような気がします。
商売っ気なさすぎてビックリするくらい、セミナー10個分以上の内容が詰め込まれていました。
無知って、ホント怖いのね。。

この日の学校

先日、「この日の学校」に参加しました。
「この日の学校」とは、武道家の甲野善紀先生と独立研究者の森田真生先生が立ち上げた、寺子屋のような私塾のような。

森田先生は、独立研究者(どこにも属さず、研究する人)として数学の道を歩み、
甲野先生は、身体技法の研究家であり武道家としてもう、有名すぎて!古武術関連書籍も多数あります。
そんなお二人。

そんなお二人の対話のテーマは「待つ」でした。
”「待つ」という状態は人間の知性においてどのような役割を果たすのか”をお二人の立場から、という事前のアナウンス。

会が始まると、静かに甲野先生が語り出し、引き継いだ森田先生が堰を切ったように言葉を綴りだす。
何度か森田先生の講座に参加したことがあるのですが、名人芸!と言わんばかりの言葉の洪水。
聞いているうちに、音楽を聴いているかのような心地よさ。

と、前置きはこれくらい。

大切なこと、響いたこと(私がそう感じた)がたくさんありすぎて。

●”なんとなく正しいもの”と、”厳密に間違えること”
西洋的な科学的なものは、根拠を元に積み重ねていくものだから、厳密に間違えることができる。
でも、東洋的ななんとなく正しいものは、厳密に否定することができない。

私自身が、いわゆる”スピリチュアル”とか”武道”という場に身を置き始めてから、常に頭のどこかで考えていることでした。
スピリチュアルな世界にいると、外からは胡散臭くみられるし、なんとなくスピリチュアルを知らない人を見下していたり。
外にいると、スピリチュアルな世界が嘘くさくみえるし、スピリチュアルの世界の人を弱いと見下していたり。
でも、どちらも正しくもあり、間違いでもある。どちらでもないし、どちらでもいい。

●命と紙一重になると、flowに入る。(”flow”とは、ゾーンと言われたり、火事場の馬鹿力の状況みたいな、無意識の状態)
flowの状態になると、人間の思考を越えたパフォーマンスを発揮することができる。
flowの状態に如何にに導くか、そこに知性が役に立つ。

私にとって、第六感というものが働くとき(セッション中とか特に)は、たぶんflowという状態なのでしょう。
どうやってそういう状態になるの??と聞かれるけれど、最近気づいたのは、”普通の状態”を知ることが大切だな、と。
ルーティンの動作を行う中で、普通の状態がわかるからこそ、flowへの場への移動ができる、というか。ここら辺、もうちょっと考えたい。

●科学は多くの人を納得させる力がある。だから、多くの人の行動を変えることができる(納得すれば、行動できるからね)。
甲野先生も、森田先生自身も、「森田先生は”学問”よりも”体感”の人である」とおっしゃっていました。
”体感の人”の森田先生があえて、多くの人の行動の普遍化を行うことができるから”学問”をしている、と。

しばらくスピリチュアルな世界にどっぷりしていた私ですけれども。限界を感じていたのです。そこだけにいることは難しい(自分がね)。
だから、スピリチュアルな世界に片足突っ込んだまま、いわゆる日常の世界をよりよくするために、自分は何をしていこう、と思ったのがここ1年半くらい。

●科学は絶対的なものではなくて、情の上に浮かんでいるようなもの。
”情”という言葉は、岡潔先生という数学者が唱えていた言葉。(http://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-japanese00.html)
人間の持つ、心という言い方もできるし、わびさび、という言い方もできるかな。”情”に従うことが道徳というもの、とか。
理論的には、知識としては正しいけれど、やっぱり辞めた方がいい、と思ったり。そういう歯止めになるのが”情”。

科学の無力さを感じつつ、でもそこでしか他の人と繋がれない。
私にとっては、その無力さが、あたらしいことを始める勇気につながるのです。

他にも大切なこと、響いたことはあったのですけれど。
あ、テーマの「待つ」について触れてない!
でも、今日はこれくらい。

こうやってブログを綴りながら、読んでくださった誰かの”情”と、響きあうことがありますように(使い方、あってる??)。

今日見た夢の話

朝方目が覚めて、二度寝しました。
その時に見た夢の話。

旦那さんにバスで、どこかの山へ連れていかれました。
天狗の修行をしに行くそうです。
道中、修行をするなら天狗より伊勢神宮へ行きたいなーとか話したり。
山の麓では、天狗の修行を受け付けていましたが、今は雨で休止中。
と思ったら、雨が止んで受付再開。
天狗の修行に申し込み、バスに乗って山中へ連れていかれる途中、
私の体が宙に浮き、そこら辺を飛んでいました。
背中に翼ができたり、鼻が伸びたりまったくしない。
それだけで修行が終わったらしく、麓へ戻って休憩していると、
目の前に白いフクロウがちょこちょこと歩いてきました。
そうして、私の肩に乗って鎮座。

そんな感じで目が覚めました。
雨上がりの湿度の高い空気感とか、
宙を飛んでいるときの重力の感じとか、
フクロウの羽の感じや息遣い、
すべてがリアルすぎたのでメモメモ。

”誰か”を必要としなくなるとき

”信じる”の対義語は、”疑う”。(辞書によると)
でも本当は、”疑う”じゃなくて、”知る”ではないでしょうか。

といったツイッターのつぶやきを目にしました。

あぁ、本当に。
信じたいから、知る。

いろいろなことを知るのが大好きな私ですが、
自分の状態が下り坂な時(そう思い込んでいるだけだけど)、
信じたい誰かの言葉をむさぼるように得ようとしていたこともあります。
不安から逃れたいから、”正解”を求めようとする。

目の前に訪れる音楽や景色を、ただ心から楽しめばいいだけなのに。
心地よい、と思っている自分の感覚を信じられない。
だから、誰かかの言葉を聞いて安心する。
本当は心地よい、と思っている自分がすべてなのだけれどね。

自分に覚悟を決める、と言ったら大げさだけれど。
静かに、自分を大切にするだけでよいと思うのです。

最近は、ちょっとパラレルワールドを感じることが多かったので。(このことは、また別の話。)

身体で受け取める、世界の美しさ

ジブリ映画は、実はそんなに見ないので。
ストーリーすらほとんど知らない映画も多く。
ですが、テレビで見たワンシーンがいつも頭の中から離れない。

主人公の女の子が宙を舞い落下して、それを受け止め抱き上げる、というシーン。

女の子が落下している途中も、受け止められるその手に触れる瞬間も、抱き留められた時のお互いの感触も。
見ている私もその感覚を十二分にリアルに感じることができました。
それは、私自身が持つ、”重力に対する体感”を、感覚を、想起させられる体験でした。

先日NHKの宮崎氏の番組で、”生命に対する侮辱”という発言があったようですが。
(その言葉が発せられる流れについては、いろいろとあったようですが、そこはさて置き。。)
その発言を見たとき、先ほど紹介した映画のワンシーンを思い出しました。
・・・正確に言うと、そのシーンを見たときに感じた体の感触がムズムズと思い出されたのです。

”世界は美しい”
それは、生命があり。
夜があり、朝があり。
重力も、風も、光も、闇も。
喜びも、悲しみも、ただ、ある。
その中で続く日常は、ただただ美しい。

そのシーンで感じた”重力に対する体感”は、それを思い出させてくれる。

人は一人で生きていない。
この身体を持って、この世界を生きている。
この世界の美しさを、身体で受け止める。
合気道をしていることで、それをよりリアルに体感することができるような。
ということで、先日1級に昇級したんですけどね。