カテゴリー別アーカイブ: こころ

届くメッセージ。

日々、いろいろなことが起こります。
人と関わることで、言葉をかけられ、言葉をかける。

自分が、誰かにかけたいと思った言葉は、
自分にかけたい言葉だろう。

誰かにかけられた厳しい言葉は、
自分を責める言葉ではなく、
ただ、点検を促すための言葉だろう。

大丈夫、という言葉は、
きっと他の人にかけられたら、
そんな簡単なことじゃない!って一瞬思うけれど、
でも、大丈夫なのかもしれない。
いや本当に、大丈夫なんだろう。

毎日同じことの繰り返しのように見えるけれど、
日々天気も変わる。
季節も変わる。
自分も、変わる。変われるから。

というメッセージが、最近届いてます。
どこから?
それは、日々出会う人から。体験から。
特に特別な能力なんて、いらないですよ。
日々の生活を、ちょっと深読み(妄想!)しているだけですから。ね。

いつものように、丁寧に。

被災された方々のことを思うと、何も言葉が出てきません。
ですが、私たちの目の前の日常を放り出せず。
親戚が九州にいることもあり、ついテレビのニュースを見てしまいがちです。
娘が、「怖い」と言い出しました。
そうでした。
5年前の震災の時、まだ娘は1歳半くらい。
東京も、水など、少し日常に影響が来ていました。
周囲の人の心もザワザワ。
私は娘と、三重の知人宅へ2週間身を寄せました。
生活の不便からの避難、ではなくて。
不穏な空気からの避難、でした。
怖かったのです。だから、避難しました。

今回の地震は、前回よりももう少し遠い場所。
「怖さ」とも少し距離があるから。
まずは、日常を丁寧に。
心の安心の容器を満たすように。
避難グッズや避難食を再確認。
子どもと一緒に笑顔で過ごす。
あたたかいぬくもりに、感謝する。

誰々よりも・・・という比較の話ではなく。
まずは自分のスペースを満たしましょう。
そうしたら、自分にできることがみえてくる。
あわてず、あせらず。でも着実に。

好きじゃなければ、やらなくていい。

パソコン講師の話。その3。

この講師、丸4年くらいやっています。春・夏休みの年2回。
4年やると、生徒が大きくなって帰ってくることもあるのです。

講師始めて間もない頃。
プログラミングのスーパーキッズが来ますよ!と主催の方に言われました。
正直、この講座は初めてパソコンを触る子どもでもわかるような、本当に初心者対象のものなのですけれど。どうなることやら。
少年は、当然余裕でサクサク課題を進め、自分で課題を見出し、周囲の子どものサポートしてくれましたよ。
あれから4年。
折に触れてその後も講座の際に遊びに顔を出してくれていたのですけれど。
今回彼は、テレビクルーを連れてやってきました。凱旋ですな!

せっかくなので、今回の講座受講生に、プログラミングを楽しく続けるコツでも語ってもらおうか!と、思ったけれど。
「好きだからやってるので。好きじゃなければ、やめればいい。」
スパッと言われて、そうだよなーって。
私もいろんなことを勉強してきたし、勉強すること自体が好きだけど、別にそれはすごいことだとは基本的に思っていないしね。
(社会的に有利だから得な趣味だなー、とは思っているけれど!)

講座はね。
先生と生徒、ではあるのだけれど。
プログラミングの面白さを知っている先輩が、一緒にワイワイやってる感じ。
最初に触れる瞬間が、とても楽しい体験となりますように。
つまらないとか、余計な先入観がつきませんように。
わからなくても、楽しいわからない!経験になりますように。
好き!につながる時間となりますように。

好きじゃなければ、やめればいい。ので。
好きなら、勝手にやるのよね。
じゃ、どこに”好き”を見出せるか。よね。

#そんなわけで、こっそりテレビに映りこむかもしれません。。

安心して、失敗する

小学生にパソコンを教える講座の話。その2。

プログラミングって、そもそも大人もよくわからない人が多いと思うのですが。
まぁ、いいのです。
知らなくても別に生きていく上では、まったく困らない。
ホント、まったく。びっくりするほど!
一言でいえば、パソコンに命令するためのルールのこと。
言葉と同じように、文法があって、単語があって、ルールに則って書いた文章を、パソコンに読んでもらうというもの。

で、パソコンとコミュニケーションを取る言葉なので。
パソコンは、融通がまったく利きません。
「ありがとう」を、「あちがとう」と言ったところで、人間ならある程度意味が通じます。
でも、パソコンは一文字違うだけで、しれっとエラーを返します。
ホント、悲しいくらいに。

今回の講座でも、数字が半角でなく全角になっていたたけでも、動かない。
そんな体験をした子ども達がたくさん。ほぼ全員。
そんなとき、「ついてないなー!」なんて言ってしまう子どももおりました。
でもね、私はこう言っちゃう。
「え!ラッキーじゃん!」
すると、子どもはびっくりした顔で、「どこがラッキーなの?!」って。

だってそうでしょ。
一人でやっている時にエラーが出たら、一人で困るだけ。
でも、講座の中なら仲間も先生もいる。
安心して、失敗してもいいんだよ。ってね。

そんな風に繰り返し失敗すると、失敗を修正する力がついてくる。
そうなったら、一人でも大丈夫。
失敗しても、やり直せるんだってあきらめない気持ちも、ついてくる。
むしろ、一人でも修正するぞ!ってプラスの力が湧いてくる。

講座が終わって、プログラミングに二度と触れない子どももたくさん。
でも、それでもオッケー。
少なくとも、小さな失敗に立ち向かう心持ちが経験できたからね。
一人で失敗しなくていいんだよ。
それを体感できたからね。

ゲームばかりはどうかと思うけれど。
やっぱり世界の広さを知るきっかけになるなら、必ずしも悪とは思わない。
寄り添う誰かの心がそこにあれば。ね。

試される時

人間だもの。
日々暮らしていれば、いろんなことが起こります。
ノリノリな時もあれば、ボロボロの時もある。
自分一人で生きていれば、それで終わりだけれども。
家族や友人、仕事など。
一人では生きていないのだから。
他の人や出来事のバイオリズムもあるのですから。
自分のバイオリズムのひどい時と、環境や他の人のバイオリズムのひどい時に重なると・・・まぁ、地獄。

もちろんね。
それを導いたのは自分なのだろうけれど。
えっ?こんな小さなことがあんなに大事件に!!なんてこともある。
心の準備ができていないからこそ、ショックが大きいこともある。

でもね。だからね。
そういう時こそ、笑顔だよね。
悲しくて、悔しくて、もう泣きたくなっているとしても。
誰もその深くて苦しい状況を理解してくれなくても。

いやいや、ポジティブになれっていうわけじゃないんです。
深く深く悲しみに、苦しみに浸る時も必要です。
カラダがその出来事を受け止められるまで。
眠ってしまっても、引きこもってしまってもいいんです。

それでも。それでも。
深い深い苦しみの底を見てしまったら。
そうしたら、動き出しましょう。
カラダが動きにくいだろうから、まずは顔だけ。
口角上げるくらいなら、どんなにひどい時でもできるから。

自分のバイオリズムも、環境のバイオリズムも、他の人のバイオリズムも。
みんな常に動き続いているから。
潮目が変わる時を、口角上げて待ちましょう。
淡々と、淡々と。

ポジティブシンキングを味方につけてもいいですよ。
それが動く力になるなら。
ドSな人は、ネガティブシンキングでもいいかもしれませんね。

淡々と。淡々と。
自分ができることをコツコツと。
誠実にやることでしか、未来は開けないのです。
その”誠実”が、自分のためでありますように。

大きな流れに逆らわずにいると、棚ぼたが起こる。

子どもが、幼稚園を卒園しました。
あぁ。これでひと段落。

卒園を間近にした頃、仕事から帰ってくるとムスメが大量の折り紙を折っていました。
プレゼントの形の折り紙を。
話を聞いてみると、クラス全員にプレゼントするそうで。
その時は、そうなんだーくらいにしか思っていなかったのだけれど。

卒園式の時、担任の先生に言われました。
「仲の良かったお友だちにだけあげるのではなく、全員にあげていたのがすばらしくて。
特に、〇〇ちゃん(ムスメの名前)は、人見知りな性格なのに自ら普段話さないお友だちにまであげていたので、成長をすごく感じて嬉しかったです!」と。

ほぅほぅ!確かに、言われてみればすごいことだ!
わがムスメながら、すばらしい!
(複数の親御さんからもお礼を言われて、私が促したと思われていて恐縮でした。。すみません、親はうっかりさんでした。。)

もちろん、ムスメが人見知りな性格を克服しようと行ったことではないのでしょうけれど。(そんなドSでは・・・きっとない・・・笑)
単に折り紙好きなムスメが、作品を友だち全員に押し付けた!なんてね。
ま、どーでもいいのです。動機なんて。

人見知りのムスメが、なんか知らんけれど、人見知りを克服する行動を取ってしまって、それが結果として本人の役に立った!という棚ぼたな出来事。
きっと、大きな流れに逆らわずに暮らしていると、そういう出来事はたくさんあるんだろうなって思うのです。

さぁ、春!
ココロ軽やかに、春風と共に楽しく行きましょう!

最後はカラダにたどり着く

ストレスフルな仕事場から帰ってきて、もうココロもカラダもボロボロで。
楽しいことをやるよりも、とにかく休みたい、カラダを休ませたい。
横になって、思いつくままネットサーフィン、お菓子をお供に・・・
週末も回復第一でとにかく寝貯め。
気づけば日曜夕方、あぁまた一週間が始まる・・・とため息。
お疲れさまです。本当にお疲れ様です。

ここまでくると、ココロとカラダは完全に負のスパイラルを描き、きっとココロかカラダが壊れてしまうまで止まらない。
というか、死んじゃいます。

死にたくない、じゃあどうすればいいの?
そう。負のスパイラルを断ち切るしかないのです。

ストレスを受けるココロを支えるカラダ。
ストレスを受けやすい、感じやすいココロを変えてみよう。
・・・瞑想でもしようかな・・・それも、アリ。

でも、即効性があるのは、カラダの方。
即効性、というよりは、実感を伴いやすいのが、カラダ。
カラダを動かすのです。
いきなり走れ!というのではありません。
横になっている時間の内の5分でも10分でもいいのです。
ちょっとストレッチ、ちょっと体操、ちょっと散歩。
何かのために運動!スクワット100回!というのとはちょっと違う。

イメージとしては、負のスパイラルにロックされてしまったココロとカラダに振動を与え、緩めて、ロックを外すという感じかな。
振動与えてココロとカラダに隙間ができれば、あたらしい風が吹き込んでくる余裕が出てくるよ。

ストレスを感じやすい無意識の自分を意識でコントロールするのは難しいけれど。
カラダは意識でコントロールすることができるから。
そしてココロとカラダはつながっているから。
ココロの受け皿のカラダをタフにすれば、安心してストレスを受けられるようになる。
そうすればきっと、ストレスに向かう自分があたらしい視点から対することができる余裕ができてくるはず。

大丈夫。大丈夫。
まずはゆったりお風呂に入ってみるといいね。

もう、いいんじゃない?誰かになろうとしなくても。

16年も連れ添っている旦那さんですから、まぁよく私のことをご存じで。
私の活動は、基本的に全力で応援してくれています。(時間もお金もサポートも)
ですが、たまーに、ものすごく冷たく「辞めなよ」と言うことがあるのです。
本当に稀なのですが。
なので、言われると逆にものすごくドキドキするのです。

今日のブログのタイトルは、最近言われたことではないのですが。
とあるワークショップに参加したいなぁ、と思っていた時の一言。

言われた瞬間は、ふざけんなー!!そんなんじゃないー!!と怒りが湧いてきましたが。
夜が明け、数日が過ぎ、そうしてしばらく経つと・・・
そうかもなー、と。
昨秋からずっと私の中のテーマとなっていたのは、これだったなーと。
そして、最近はそういう自分になれてきているような。
私もそうそう!という方、いいですね!
そうじゃないわ!という方も、もう少しですよ。
もう少しだからこそ、その過程にいるからこそ、この言葉に反応できるのだから。

私の場合は旦那さんでしたが。
結構身近な人は、よく見ているなぁ、と。
ヒントをきっと、くれますよ。
たまには素直に耳を傾けてみるのもいいのかな。
(いや、そんなこと言ったら、調子に乗るから辞めとこう。笑)

愛し愛されて生きるのさ

もう何年前の歌かな?

”いつだって可笑しいほど誰もが誰か 愛し愛されて生きるのさ
それだけがただ僕らを悩める時にも未来の世界へと連れてく”

今は音楽活動や環境活動などされている小沢健二さん。
オザケン、と聞いて懐かしー!と思われる方もいますよねー。

10代のころヘビーローテーションで聞いていたなぁと思いながら。
たまに無意識に口をついて出てくることがあるのだけれど。
改めて歌詞を読んでみると、わぁ!すてき!ね。

もう、どうにもこうにも二進も三進もいかない!って時でも、
そういう時だからこそ見えてくるのかもしれないね。

今日は冷たい雨の中自転車に乗ったせいか、心の芯まで冷えてしまいそうだから。

ボランティアと。

学生時代、障害を持つ人を支援する団体でアルバイトをしていました。
その時に痛感していたことを、久しぶりに思い出しました。
ボランティアは、自分が満たされていないとできないということ。
肉体的にも、精神的にも、物理的にも。

大学卒業後、その団体に就職することも考えたのだけれど、最後の最後でそれをしなかったのは、外に出て自分を大きく育てないと、消耗していくような気がしていたから。
きっとその団体にいても、それなりに頑張っていたのかもしれませんけれど。
あの時の私は、若さもあったし大きな夢を語っていましたね。。

世界には、いろいろな人種がいて、いろいろな考え方があって。
差別の現場を目の前にして、絶望的な気持ちになることがあるけれど。
今目の前にある小さな一歩に全力で取り組むことしかできないのだなぁ、と。
そのためにも、まずは家内安全ですな!