カテゴリー別アーカイブ: 合気道

滑空する身体

先日、甲野善紀先生の著書(できない理由は、その頑張りと努力にあった)を読んでいたときに、
”床を蹴らずに間を詰める”という件がありまして。
床や地面を蹴って動くことによってかかる時間的ロスを省くため、
前傾して膝を曲げて、曲げた前足に重心をかけるのだけれど、
その重心をかけた足から前に出る、というもの。

常識で考えれば、重心をかけている足から前に出るなんて無理じゃ?
そうですよね。
重心を前足にかけていたら、次に出るのは後ろ足、なはず。
後ろ足で地面を蹴って前に進む、はず。
でもそこには、時間のロスが。
もちろん、数ミリ秒の単位のロスなんですけれど。
そうは言っても、矢が飛んできて避けなければいけないときには、その数ミリ秒単位が重要です。
(いや、そんなシーンはないって??)

実際やってみると、その感覚がとても面白い。
本にも”相手に向かって倒れこむようにして(中略)滑空するようにして前進する”と書かれていますが。
まさに”滑空する”のです。
まるで自分が飛行機の流線形の機体になったかのように、空気の間を滑りぬけるような。
完璧な空気の切れ目を縫いながら滑っていくみたいな。

そういえばこの感覚、クンルンネイゴンの中にも同じような感覚を得られるものがあったなぁ!
この地球上で生きている限りは、とりあえず重力があり、身体があるわけで。
それを踏まえたベストな身体の使い方があるのでしょう。
いろいろな道がありますがやっぱりどこかで繋がるのだろうな、と思うのです。

身体を鍛えるとか、修行するとか、それぞれの好みはあるのでしょうが。
少なくとも他の誰のものでもなく自分の身体と折り合いつけるのは、大切なことなのだと思いながら。
日々仕事に合気道に余暇に励むのです。

身体で受け取める、世界の美しさ

ジブリ映画は、実はそんなに見ないので。
ストーリーすらほとんど知らない映画も多く。
ですが、テレビで見たワンシーンがいつも頭の中から離れない。

主人公の女の子が宙を舞い落下して、それを受け止め抱き上げる、というシーン。

女の子が落下している途中も、受け止められるその手に触れる瞬間も、抱き留められた時のお互いの感触も。
見ている私もその感覚を十二分にリアルに感じることができました。
それは、私自身が持つ、”重力に対する体感”を、感覚を、想起させられる体験でした。

先日NHKの宮崎氏の番組で、”生命に対する侮辱”という発言があったようですが。
(その言葉が発せられる流れについては、いろいろとあったようですが、そこはさて置き。。)
その発言を見たとき、先ほど紹介した映画のワンシーンを思い出しました。
・・・正確に言うと、そのシーンを見たときに感じた体の感触がムズムズと思い出されたのです。

”世界は美しい”
それは、生命があり。
夜があり、朝があり。
重力も、風も、光も、闇も。
喜びも、悲しみも、ただ、ある。
その中で続く日常は、ただただ美しい。

そのシーンで感じた”重力に対する体感”は、それを思い出させてくれる。

人は一人で生きていない。
この身体を持って、この世界を生きている。
この世界の美しさを、身体で受け止める。
合気道をしていることで、それをよりリアルに体感することができるような。
ということで、先日1級に昇級したんですけどね。

心と身体のつながりと、知性について

http://wired.jp/2016/07/12/interview-masao-morita/

あぁ、最近ずっといろいろと考えていたことを、スパーンとはまる表現にしてくれているなぁと感動!

合気道を始めてから3年くらい。
まだまだ自分の身体と心のつながりを見出せずにモヤモヤ。
でも、この方向でいいんだ、続けていていいんだっていう安心感は抜群に感じる今日この頃。

(リンク本文より引用)
知性には2種類あると思っています。ひとつは「自力」の知性。
自分の手持ちのルールを駆使して、巧みな計算によって問題を解決していくようなタイプの知性です。
もうひとつは「他力」の知性。
手持ちのリソースで計算するというよりも、身体を使ってうまく進行中の世界の一部に同化していくようなタイプの知性です。(引用おわり)

そうなんだよね。
知性って、結果を出していくことだけが知性じゃないんだよね。
”自分がそこにある”ということを肯定し、肯定されることも知性なんだ。
「自力」の知性、「他力」の知性。
その「他力」の知性こそ、身体があるからこそできるのだと思うのです。
だから、身体の感度の維持と向上は必須なのだと思うのです。

うつの人が、味がわからなくなるとか、身体を引きずっているような感覚とか、聞いたことがあります。
身体が置き去りにされるんだよね。きっと。
結果にフォーカスする「自力」の知性に偏りすぎて、
「他力」の知性を失ってしまった結果が、うつなのかもなぁ、と。
だから、うつの治療に、森田療法など、身体の感覚にフォーカスする治療が効果を上げてるんだね。

グーグル社など、瞑想を取り入れている会社があると聞きますが。
瞑想も、「自力」と「他力」のバランスを取り戻すのに役立つのでしょうね。

もう少しこの件については、じっくり考えてみたいな。おもしろい。

心が定まると、現実が動き出す

最近、クンルンネイゴンのワークのおかげか、合気道の稽古のおかげか、心のゼロポイントがリアルに感じられる気がする。
ゼロポイントがわかると、目の前に起こる出来事や会う人との会話が、とても立体的に感ぜられるのです。
いいことばかり起こる、のではなく、悪いことがどれくらい悪いのか、どれくらい私が動揺しているのか、その距離感がなんとなく。
だから、その出来事や会話を、より味わい深く感じることができるのです。

ゼロポイントが定まると、現実が動き出す。
これは、言い換えると、今までも動いていたけれど、心がザワザワしてきちんと捉えられなかった現実と、向き合うことが出来るようになった、というべきか。な。

人の言葉の行間に隠された祈りを。
悪意の中に秘められた弱さを。

きっと、そもそも人はいろんな人に支えてもらっているんだよね。
それらときちんと向き合うことが出来ると、本当になんかいい感じが多くなるよね。

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合気道の準備体操

木曜日は、合気道のお稽古日。
合気道の準備体操は、とても気持ちがいい。
頭の先から足の先まで、関節の一つ一つを丁寧にほぐし、筋をゆるめ伸ばし温める。

合気道を始めた頃、一番感動したのが、手首の準備体操。
子育て中のママさんなど、腱鞘炎予防にとてもオススメのストレッチだなー!と。

youtube探したら、良さそうなのがありました。↓↓↓(普段はこのうちのいくつかのストレッチをやっています)

合気道はそもそも試合がないのが、私には心地いいのです。
私が力めば、その力みを相手を通してはね返ってくるし、上手く力を抜けたら、相手との一体感を感じられる。
一人で気付くには時間もかかるし、一人よがりになってしまいそうだけれど、相手がいてくれることでうまく整い収まるような。

一人で取り組むクンルンネイゴンで感じる力を育みつつ、合気道で実際の動きと体の整合を取り、それを日常に浸していくというプロセスが楽しい今日この頃。