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今日のお伴は”不便益”

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今日の通勤のお伴さん。
ながーいタイトルに惹かれますね。フフフ。

最近の私の興味の方向が、人工知能と人間と身体と私、あたりなのですが。
こちらの”不便益の本”は、人工知能がもたらしてくれることとか、人間が受け取れることとか。
人間ができて、機械ができないこと、機械ができるけど、人間がすること。
世界の動きのスピードに目が回りそうな人に、安心して立ち止まるきっかけをくれる本。
立ち止まる時間も、自分を育む時間。

AIに支配される未来が来るんじゃないか!という怖れに対する自分なりの答えが、
ようやく最近ピタリとはまった感があるのです。
それは、とてもシンプル。
”AIに支配される世界に私は生きない。それで、いい。”
もうちょっとちゃんと書けば、情熱は・・・とか、問を立てることは・・・とか、身体感覚が・・・とか。
いろいろな言葉はあるのだけれどね。
ここはあえて一言で。

そう。
この本、インプレスとミシマ社が立ち上げたあたらしいレーベル”しごとのわ”からの出版。
仕事をあたらしい視点で見つめてみる本が出版されています。
このレーベルの本で、最初に読んだのは”小さな会社でぼくは育つ”(神吉直人著)だったのだけれど、
そちらもとてもステキな本でした。
その本の話は、また別の機会にでも。

言葉で定義できない世界

セラピストやったり占い師やったりしていると、
いわゆる”言葉で定義できない世界”が当たり前すぎて、
自分にその世界がなかった頃をつい忘れてしまう。
自転車に乗れなかった自分を思い出せないように。

それでも、いろいろな本を読んだり、人と話をしていると、
あぁ、そうだ。
”言葉で定義できない世界”は、間違いなくメジャーではない、と。
折に触れて気づく。
いわゆる”非科学的”なものを、あんなに拒否していたのにね、私。
最近は、”科学的”って言葉自体の定義が、根本的に違っているんだけれどねー、と思いながら。

”言葉で定義できない世界”は、別に信じなくても信じていてもどちらでもいいし。
その世界に生きても、生きていなくても好きなようにすればいい。
要は、しあわせを感じる日常であれば。
どちらの世界も経て来たので、どちらの気持ちもわかるし。優劣もない。
ただ、今いる世界がつらいのに、そこに固執する必要もないなー、と。

”本を読む私”が戻ってきたということは、何だかいろいろ安定してきたのだろうなー。
AIのことやら、武道のことやら、まったく逆のことのようで、まったく同じことばっか読んでるな、最近。
そう思っていたら、身内に”生と死”を学ばせてもらえることがたくさん起こっています。

それにしても、自分が相当、いや絶望的なほど”飽きっぽい”人間なのだと。
結構がんばってきたつもりでしたが、敗北目前。
そんな自分を最大限活かせるような歩み方を、いろいろ考えよー

そんな、今日。

人は皮膚から癒されるよ。

人は皮膚から癒される/山口創著

セラピストをやっていたり、ベビーマッサージ講師もやっているので。
”触れる”ということの効果効能については、知っているつもり。
それでもこの本を読んでいたら、やっぱり”触れる”ことは大切なのだと改めて心に深く。

誰かがそばで見ていてくれるだけで、安心してチャレンジできる。
誰もがそんな経験をしたことがあるでしょう。
”触れあった記憶”は、その安心をもたらしてくれるのです。
エビデンスもあるらしいですが、みなさんもれなく体感したことがあるでしょうから、疑う必要はないですよね。

現代はストレス社会であって、ストレスマネジメントがとても重要だと言われていますが。
”触れる”ということで、ストレスへの耐性を育むことができるのです。
しかもいつから始めても遅くないし、一度だけでも効果がある。

今の私は、隙があればハグしたくなる人なのですが。
中学生ごろまでは、笑い方を知らない人でした。
愛されていなかったから、ではなくて。
優等生すぎて、真面目すぎて、笑うことを忘れてしまっていたのです。
気を抜くことを忘れてしまっていたので、”触れる”ことは危機に身を晒すことでしたから。
そんな私も紆余曲折ありまして、周囲の人に育まれ直し、今じゃ”ハグ万歳!”
なので、人に触れることが”今は”怖い人も、ご心配なく。
あくまでも”今”だけですよ。何とかなります。

この本のステキなところは、”触れる”ご利益だけではなく、
”触れる人”、”触れられる人”の関係
”触れるの怖い人”
”触れる相手がいない人”
”触れる技術の話”
”っていうか、触れなくてもいい話”
などなど。
人がストレスと立ち向かっていくために必要なことが広く書かれているのです。

最近のマイブームが、人工知能の未来だったりするものだから。
逆にアナログな、触感的なこともバランスよく頭に入れておきたいなーと。
あと、来月からベビーマッサージ教室も再開するしね。

人工知能についての話はまた次の機会に。

筋トレ教

ツイッターで流れてきた”筋トレ教”。
”人生の99.9%の問題は、筋トレで解決できる!”なんて書籍もあるそうで。
そして、3大宗教として”筋トレ教”、”自転車教”、”ジョギング教”という説もあるそうで。

いや、ホントその通り!と思うのです。
あ、”ヨガ”も宗教に入るのかなー、”合気道”はどうかなー、なんて余談はさておき。

宗教とは、悩みや苦しみから人を救う拠り所なのだとすれば、
身体にフォーカスすることで、思考のグルグル渦に巻き込まれないで済むのなら。
それはとても健全な宗教のように思えます。

そもそも悩むのは、暇な人がすることだ、という論に賛成な私なので。
自分はとても悩むの大好きなので、その度に”自分は今暇なのだ!”と言い聞かせてますが。
早く合気道の稽古に行ってスッキリしたいー!
愚痴りたくなった夜に、流れてきたツイートに喝!を入れられた気分。。

滑空する身体

先日、甲野善紀先生の著書(できない理由は、その頑張りと努力にあった)を読んでいたときに、
”床を蹴らずに間を詰める”という件がありまして。
床や地面を蹴って動くことによってかかる時間的ロスを省くため、
前傾して膝を曲げて、曲げた前足に重心をかけるのだけれど、
その重心をかけた足から前に出る、というもの。

常識で考えれば、重心をかけている足から前に出るなんて無理じゃ?
そうですよね。
重心を前足にかけていたら、次に出るのは後ろ足、なはず。
後ろ足で地面を蹴って前に進む、はず。
でもそこには、時間のロスが。
もちろん、数ミリ秒の単位のロスなんですけれど。
そうは言っても、矢が飛んできて避けなければいけないときには、その数ミリ秒単位が重要です。
(いや、そんなシーンはないって??)

実際やってみると、その感覚がとても面白い。
本にも”相手に向かって倒れこむようにして(中略)滑空するようにして前進する”と書かれていますが。
まさに”滑空する”のです。
まるで自分が飛行機の流線形の機体になったかのように、空気の間を滑りぬけるような。
完璧な空気の切れ目を縫いながら滑っていくみたいな。

そういえばこの感覚、クンルンネイゴンの中にも同じような感覚を得られるものがあったなぁ!
この地球上で生きている限りは、とりあえず重力があり、身体があるわけで。
それを踏まえたベストな身体の使い方があるのでしょう。
いろいろな道がありますがやっぱりどこかで繋がるのだろうな、と思うのです。

身体を鍛えるとか、修行するとか、それぞれの好みはあるのでしょうが。
少なくとも他の誰のものでもなく自分の身体と折り合いつけるのは、大切なことなのだと思いながら。
日々仕事に合気道に余暇に励むのです。

ママにおススメな、いや必須なサイト

6月から再びwithbabyでベビーマッサージ教室を再開することになりました。わーい。

自分自身の産前産後、乳幼児の育児中にずっとモヤモヤしていたこと。
いわゆる”神話”というものに悩まされる時期がありました。
”母乳”、”布おむつ”、”抱き癖”、”離乳”などなど・・・
ベビーマッサージ教室を開いている時もずっと、
そんな”神話”に悩むママさんをたくさん見てきました。

私自身がそんな悩みから脱出するためにしたのは、”知ること”。そして”実践すること”。
本を読み、ネットを探し、その中から自分が”正しい”と思うことを知り、実践する。
周囲の雑音は、オフに。
それが本当に正しかったのかはわかりません。
ただ、今私と娘が笑顔で過ごせているのだから、私にとっては”正しい”ことなのだと納得を。

でもね、ホント。
ネットの情報って真偽がわからないものばかり。
そんな中、こんなサイトを知りました。
ちょっと理系な育児

いいですねぇ。
WHOのガイドラインを基にした情報が満載なサイト。
でもこのサイトの本当の価値は、
偏った見方に陥ることなく、自分と目の前の子供にとっての正しさを追求する!
そんな姿勢を感じることなのです。
私が信じる”理系的な姿勢”って、そういう姿勢。

産前は働いていたママほど、”神話”にとらわれて苦しんでいるような(私もね)。
仕事ではtry and errorは当たり前だったはずなのに、
育児となると、他の解が見えなくなる、怖くなる。
大丈夫。子供と一緒に乗り越えていこう。

そんな気持ちになるようなベビーマッサージ教室をやりまーす。

本を読む生活。

本を読む生活が戻ってきました。

たくさん本を読む時間が戻ってくると、
言葉の感覚が戻ってきて、
言葉がよりくっきりと届いてくるようになる。

合気道の稽古をしていても、
ちょっと稽古から離れると、
身体が動きを忘れてしまうように。
本を読むにも、本を読む感覚があったことを思い出しました。

本を読む生活モードに入ると、
読みたい本が次々飛び込んできます。
本屋の棚から、テレビのニュースの一言から、記憶の連想ゲームから、
家族の言葉から、新聞の記事から、音楽のフレーズから。

ある本は、勢いで読み切ってその本全体の空気を感じる。
ある本は、一言一言ぐわっとダイブして浸りきる。
ある本は、1章読んだら他の本へとあえて浮気して。

自分が読む本を、自分で選べるしあわせ。

手作りアロマディフューザー

aroma

哲学的なクルクル具合。。
これ、アロマディフューザーなんです。

瓶の中にエタノールと精油(アロマオイル)を入れて、ラタンスティック(藤の棒)を入れるだけ。(大体エタノールに対して精油1%くらいかな)
毛細管現象によって、スティックの上部までアロマ液が吸い上げられて香りを放ちます。

アロマショップで働いていた頃、商品としてアロマディフューザーを扱っていたけれど、
クルクルなラタンスティックは見たことなかったなぁ!

ちょっと古くなった精油だけど、香りが大丈夫なものの消費にちょうどいい!
リボンをかけて、ちょっと上品に。
トイレに置いていますよ。

パラレルキャリアの歩き方。ナカムラクニオさんの本たち。

蜀咏悄 2017-04-19 6 31 26

最近、読書熱に火が付きました。
ので、以前から気になっていた本をザクザク読んでいます。

ナカムラクニオさんは、荻窪にある”六次元”というカフェというか古書店というか居場所というか。
不思議な”場”を提供している方。
村上春樹氏の読書会なんかも開いているカフェでもあったり。
いろいろなイベントが開催されているのです。
ナカムラクニオさん自身がパラレルキャリア(本業とは別に副業を持っている、”六次元”も副業の一つ)持つ人。

自分がこの世界で生き(活き)ていくために、
自分が食べる術を持つこと。(ライスワーク)
自分の居場所を持つこと。(ライフワーク)
自分のワクワクを作ること。(ライクワーク)
この3つを自分の中のベストなバランスで作っていくこと。

あぁ、本当に大切でワクワクする言葉たち。
そして、それを実現するために必要なこともあますことなく書いてあるなんて!
私自身も今は本業と副業を持つパラレルキャリアな人。
ちょっとそれぞれを整理したいなぁ、と思っていた今日この頃。
各章ごとに”問いかけ”があって、その”問いかけ”に答えていくと、
気づけば自分のパラレルキャリアがクッキリと見えてくるという仕組みの本。

シングルキャリアな毎日が、なんとなくグレーに見えてきた人。
パラレルキャリアだけど、それぞれごちゃごちゃになってしまっている人。(←私)
おススメな本です。

あたらしくセラピストとして活動を始めてから今まで、いろんな起業の本とかセミナーとか見聞きしましたが。
本当に必要なことは、たぶん、この本にすべて書かれているような気がします。
商売っ気なさすぎてビックリするくらい、セミナー10個分以上の内容が詰め込まれていました。
無知って、ホント怖いのね。。

この日の学校

先日、「この日の学校」に参加しました。
「この日の学校」とは、武道家の甲野善紀先生と独立研究者の森田真生先生が立ち上げた、寺子屋のような私塾のような。

森田先生は、独立研究者(どこにも属さず、研究する人)として数学の道を歩み、
甲野先生は、身体技法の研究家であり武道家としてもう、有名すぎて!古武術関連書籍も多数あります。
そんなお二人。

そんなお二人の対話のテーマは「待つ」でした。
”「待つ」という状態は人間の知性においてどのような役割を果たすのか”をお二人の立場から、という事前のアナウンス。

会が始まると、静かに甲野先生が語り出し、引き継いだ森田先生が堰を切ったように言葉を綴りだす。
何度か森田先生の講座に参加したことがあるのですが、名人芸!と言わんばかりの言葉の洪水。
聞いているうちに、音楽を聴いているかのような心地よさ。

と、前置きはこれくらい。

大切なこと、響いたこと(私がそう感じた)がたくさんありすぎて。

●”なんとなく正しいもの”と、”厳密に間違えること”
西洋的な科学的なものは、根拠を元に積み重ねていくものだから、厳密に間違えることができる。
でも、東洋的ななんとなく正しいものは、厳密に否定することができない。

私自身が、いわゆる”スピリチュアル”とか”武道”という場に身を置き始めてから、常に頭のどこかで考えていることでした。
スピリチュアルな世界にいると、外からは胡散臭くみられるし、なんとなくスピリチュアルを知らない人を見下していたり。
外にいると、スピリチュアルな世界が嘘くさくみえるし、スピリチュアルの世界の人を弱いと見下していたり。
でも、どちらも正しくもあり、間違いでもある。どちらでもないし、どちらでもいい。

●命と紙一重になると、flowに入る。(”flow”とは、ゾーンと言われたり、火事場の馬鹿力の状況みたいな、無意識の状態)
flowの状態になると、人間の思考を越えたパフォーマンスを発揮することができる。
flowの状態に如何にに導くか、そこに知性が役に立つ。

私にとって、第六感というものが働くとき(セッション中とか特に)は、たぶんflowという状態なのでしょう。
どうやってそういう状態になるの??と聞かれるけれど、最近気づいたのは、”普通の状態”を知ることが大切だな、と。
ルーティンの動作を行う中で、普通の状態がわかるからこそ、flowへの場への移動ができる、というか。ここら辺、もうちょっと考えたい。

●科学は多くの人を納得させる力がある。だから、多くの人の行動を変えることができる(納得すれば、行動できるからね)。
甲野先生も、森田先生自身も、「森田先生は”学問”よりも”体感”の人である」とおっしゃっていました。
”体感の人”の森田先生があえて、多くの人の行動の普遍化を行うことができるから”学問”をしている、と。

しばらくスピリチュアルな世界にどっぷりしていた私ですけれども。限界を感じていたのです。そこだけにいることは難しい(自分がね)。
だから、スピリチュアルな世界に片足突っ込んだまま、いわゆる日常の世界をよりよくするために、自分は何をしていこう、と思ったのがここ1年半くらい。

●科学は絶対的なものではなくて、情の上に浮かんでいるようなもの。
”情”という言葉は、岡潔先生という数学者が唱えていた言葉。(http://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-japanese00.html)
人間の持つ、心という言い方もできるし、わびさび、という言い方もできるかな。”情”に従うことが道徳というもの、とか。
理論的には、知識としては正しいけれど、やっぱり辞めた方がいい、と思ったり。そういう歯止めになるのが”情”。

科学の無力さを感じつつ、でもそこでしか他の人と繋がれない。
私にとっては、その無力さが、あたらしいことを始める勇気につながるのです。

他にも大切なこと、響いたことはあったのですけれど。
あ、テーマの「待つ」について触れてない!
でも、今日はこれくらい。

こうやってブログを綴りながら、読んでくださった誰かの”情”と、響きあうことがありますように(使い方、あってる??)。