5年前の震災の時、私は娘の保育園のお迎えに行くバスの中にいました。
まだ慣らし保育中だったので、早めのお迎え時間。
交差点の信号待ちの時に揺れ、運転手さんがそのまま一時停止。
5分くらいして、まだ状況もわからぬままとりあえずバスは動き始めました。
それから保育園の玄関へ着くと、保育士さんたちが子どもたちをおんぶにだっこして保育園から避難場所へと移動するところに出会いました。
園長先生の背中におぶわれていた娘を引き取り、運休になるまえのバスに駆け乗り自宅へ。
テレビをつけると、大変なことになっていることを知りました。
不安なまま娘を抱っこし、テレビを見ていたところ、旦那さんが帰宅。
たまたま病院に行こうと早退していたのでした。
結局幸運が重なり、震災から数時間後には家族全員が揃い、不安な時間を過ごすことはありませんでした。
翌日からはスーパーの行列にならんだり、水(三鷹の一部は取水制限があったり)の不安、まだオムツだった娘のオムツの不安。
テレビも震災のニュースを見るのが怖くて、ずっとビデオを見ていたような。
結局数日後には、三重・伊賀で農家をやっている友人の家にしばらく身を寄せることにしました。
物の不足や放射能が怖かったのではなく(それも確かに不便だったけれど)、東京にいると周囲の不安な、不穏な空気や雰囲気に飲まれてしまいそうだったから。
結局2週間ほど疎開して東京へ帰ってきました。
そんなわけで、私にとっては震災がリアルな自分の体験になるのを避けてきました。
それがいい悪いということではなくて。
当事者だからわかること、できること。
当事者じゃないからわかること、できること。
それぞれある、と思っています。
いろんな立場があって、いろんな考え方があって。
みんなでこれからの未来をともに創っていくのだと思います。
震災も、戦争も、医療科学の発展も、みんなみんな。
真摯に、今できることを大切に、日々過ごしていくのだと思うのです。
共に。